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世界を魅了した「キング・オブ・ロック」 エルヴィス・プレスリー 〜2026 年のエルヴィス

社会は分断を始めたが、
エルヴィスの声には、
分け隔てられたものを共存させる力がある。

1.死後に出会った生身のエルヴィス

1977年8月16日、エルヴィス・プレスリーがメンフィスの自宅グレースラン ドで突然他界して、ほぼ 50 年の月日が流れた。その時、奇妙なことに、私 は、エルヴィスが実在していたことを初めて実感したのだった。エルヴィスが 死んで、生身のエルヴィスに初めて出会えた。
インターネットが日常化して、レコードやCD、DVDを取り出す手間もな く、エルヴィスの歌声、熱唱する姿にいつでも直接触れられるようになった。
時空を超えて、今な響くエルヴィスの歌声は、聴き手である我々をどこに導い てくれるのだろうか。

2.神へ向かう歌

私たちは、言葉の響きが空間を介して伝わることを知っている。そしてたいし て修行することなく神様、仏様にさまざまな願いを託す。願いが叶うかどうか わからない。だからまた願う。
その時エルヴィスがいる。エルヴィスの華やかステージも、豪華な衣装も実は 仮の姿にすぎないのではないか。彼が歌い始めると、私たちの心はざわめき、 揺さぶられる。その声についていけば、まだ見ぬ世界へたどり着ける。そう思 わせる二つの曲がある。エルヴィスは数百曲を録音している。しかし私の中 で、人生の晩年になって何度も繰り返し聴くようになったのは、以下の二曲 だ。一曲は、神と向き合って静かに祈る歌である。もう一曲は、苦しむ人のた めに自らが架け橋になろうとする歌である。

Crying in the Chapel(邦題 涙のチャペル)
人気絶頂の 1958 年、エルヴィスは入隊への召集令状を受け取り、赴任地ドイ ツへ向かう準備をしていた時、最愛の母グラディスに心臓発作で先立たれてし まった。兵役からの帰還後のあわただしい日々が過ぎた 1960 年。エルヴィス は、幼いころから慣れ親しんだゴスペル曲を集めてアルバム「His Hand in Mine(RCA, 1960)」を発表した。
「Crying in the Chapel」は、その時に録音されたが、発売されたのは、1965 年だった。エルヴィスの代表的なゴスペル作品であり、深い信仰の心が、芸術 にまで高められた一曲だ。

3.分断の入口に立つアメリカ

「Crying in the Chapel」は、ゴスペル曲として異例の全米トップ3,英国で は 1 位となり、結果ミリオンセラーとなった。
1965 年のアメリカは、公民権運動、ベトナム戦争、ケネディ暗殺後の喪失感の 中にあった。人々は同じ国に暮らしながら、互いに異なるアメリカを見始めて いた。その時、黒人音楽と白人音楽、反逆と信仰を一つの声の中に宿したエル ヴィスが、静かな祈りの歌を差し出したのである。
社会は分断を始めたが、
エルヴィスの声には、
分け隔てられたものを共存させる力がある。
この曲を聴いていると、こんな光景が浮かんでくる。
ある夜、エルヴィスは、深い森の奥の小さな湖のほとりに静かに立っていた。
湖面が微かに揺れている。エルヴィスは歌い始める。

You saw me crying in the chapel.
あなたは、礼拝堂で泣いている私を見た。
ピアノが後を追って波紋を広げ、木々のざわめきがコーラスとなって、エルヴ ィスの歌声に寄り添ってくる。
エルヴィスは「歌う」のではなく「祈っている」。装飾的なビブラートを控え 歌詞を敬うように、フレーズの息遣いまでに気を配っている。
一人の人間が、深く静かに「神」に語りかけている。
「苦しみ 」「孤独」「心の平安」「希望」。
人間なら誰もが経験するテーマを 2 分 20 秒という時間で歌い描き、エルヴィ スは、どこまでも深く入り込んでいる。
歌は続く(意訳・抜粋)
私は礼拝堂で涙を流していました。
けれどその涙は悲しみではなく、喜びの涙でした。
そして神とともにある幸せを見つけたのです。
私は長い間、心の平安を求めて探し続けました。
しかしこの世のどこにも、本当の安らぎは見つかりませんでした。

“I’ve searched and I’ve searched, but I couldn’t find no way on earth to gain peace of mind.”
その答えはただ一つ。ひざまずき、神に祈ることです。
冒頭の
You saw me crying in the chapel.
あなたは、礼拝堂で泣いている私を見た。
長い人生を歩んできて、改めて、この言葉の重みを感じる。
原文の「あなた」は、教会にいた見知らぬ人々であるが、エルヴィスの歌唱に 聞き入ると「あなた」は神であり、エルヴィスにとって亡き母であり、人生の 途上で自分を見守ってくれた誰かでもある。聴く人それぞれの記憶の中で、そ の姿は静かに入れ替わっていく。
エルヴィスの歌唱は、純粋に自分のために歌っている。聞き手は存在しない。
だから何も押し付けない。
静かな礼拝堂で、自分自身と対話する「余白」を与えてくれる。人智を超えた 何かを知った人間にとって、宗派の違いや争いは無意味なのだと知る。

4.人のために架け橋となる歌

Bridge Over Troubled Water(邦題 明日に架ける橋)
1960 年のテレビ特番「フランク・シナトラ・タイメックス・ショー」で伝説的 な共演をした後、聴衆の前で歌わなくなっていたエルヴィスは、60 年代、安直 な映画に多数出演して忘れられかけた存在になりつつあった。そして 1968 年 NBC のテレビスペシャルで復活した。1969 年からラスベガスでステージに立 ち、ショーは大成功をおさめ、定期的に開催された。その時の代表的な曲が、 1970 年に発表され、世界的大ヒットとなったサイモン&ガーファンクルの 「Bridge Over Troubled Water」(邦題 明日に架ける橋)だった。「君が疲れ 果てたとき、私が架け橋になろう」と約束するポール・サイモンが書いたこの 曲は、「苦しんでいる人をともに支え合う」歌と解釈されている。この曲が発 表された 1970 年のアメリカは、ベトナム戦争の泥沼化で反発が頂点に達し、 全米各地で大規模な反戦デモが頻発した。公民権運動の余波による社会の分 断、不況下のインフレが深刻化した激動の転換期だった。しかし、あくまで個 人的見解だが、ポール・サイモンの「Bridge Over Troubled Water」が公開さ れた当時、内容があまりにもセンチメンタルで芝居じみていると感じた。邦題 も違うと思った。しかもそこに大げさなアレンジが被せられていて、あまり好 きではなかった。そしてエルヴィスのバージョンの価値がわかるようになった のは苦しい 60 代を経てからだった。人生のいろいろを経た人間の傍らに、何 も語らず、変わる事なく、この曲はあり、長い間気づかなかったものを静かに 教えてくれた。それがエルヴィスのバージョンだった。
天使や友人がそっと肩に手を置くようにアート・ガーファンクルは歌う。その 透明なハイトーンの歌唱は、「優しさ」「 慈愛 」「共感 」 がある。そして 慰める人と慰められる人は、あくまで同じ地平に立っている。

「Bridge Over Troubled Water」の Bridge は Troubled Water(激流、混乱状態の比喩)を越える 橋。Bridge には「架け橋になる」という動詞もある。
そしてこの曲のエッセンスで何度も出てくる「I will lay me down」(あなたの ために私は身を横たえよう)という一節は、エルヴィスが歌うと、単なる比喩 を超えて、「助ける」ではなく、「進んで自分を差し出す」という響きを持っ て聴こえてくる。
ポール・サイモンの作品は、エルヴィスに歌われて、「そばにいてあげよう」 という他者を慰める歌を超えて「あなたのために喜んで身を差し出す」という 自己犠牲、「献身」の表現に変貌する。特にライブバージョンで歌うエルヴィ スの声には、アメリカが自らの理想としてきた善意、信仰、寛容さが響いてい る。強い者として立つのではなく、他者のために自らを差し出そうとしてい る。
「Like a bridge over troubled water, I will lay me down」

5.聴く者を祈りに参加させる声

私たちは、常日頃、さまざまな願いをかける。しかし、その願いが届いている という確信はない。
エルヴィスの歌唱には、私たちの言葉にならない願いを、どこか高い場所へ届 ける力がある。非力な私たちも、その声についていけば、願いの届く世界へた どり着けるように思えてくる。
エルヴィスは、神と人の間に立つ聖職者ではない。それでも、その歌声には、 聴く者に代わって祈り、苦しくて歩けない人を前へ進ませる力がある。だから 聴く者は、救済されたと思うのではなく、自分も救いへ向かう列に加わること ができると感じるのではないだろうか。
「Bridge Over Troubled Water」の橋は、エルヴィス自身の到達点ではない。
私たちが彼の声をたどり、その向こう側へ進むための橋である。彼の歌唱は 「祈りの表現」を超えて、聴く者を勇気づけ、願いが叶うと思わせる。
エルヴィスは歌う。
その歌唱は、慰めを超えて献身となり、聴く者を祈りの中へ招き入れる。 ここに、エルヴィス・プレスリーという歌手の本当の比類のなさがある。 しかしエルヴィスは、ひたすら歌っただけだ。長い人生を歩き、立ち止まるこ とを知った人間に、その声は、深く静かに届く。エルヴィスは、人生の苦しみ を説明しない。ただ、傍らに立って歌っている。エルヴィスは何かを教えてい るわけではない。説得しているわけでもない。ただ、そこにいる。
そして、聴き手は、年齢を重ねることで、ようやくその存在に気づく。 (黒坂勉)

【参考音源】

  • Crying in the Chapel
    https://www.youtube.com/watch?v=CYOUcV7nlN8
  • CElvis – Bridge Over Troubled Water – Rare Acoustic Version
    https://www.youtube.com/watch?v=05pM4xrJxMo
  • Elvis Presley – Bridge Over Troubled Water – live
    https://www.youtube.com/watch?v=FnXnljU05rs
  • Simon & Garfunkel – Bridge Over Troubled Water (Audio)
  • Simon & Garfunkel – Bridge Over Troubled Water (Audio)
  • Where No One Stands Alone
    https://www.youtube.com/watch?v=Y49o6fjEze0

【参考アルバム】

ゴスペル音楽史上における最高傑作、金字塔と高く評価されているアルバム。
エルヴィスの内面的な信仰心と圧倒的な歌唱力。特に深みのあるバリトン、ク リアなテナー、伸びやかで濁りのないハイトーンの声域が驚くほど滑らかにコ ントロールされている。このアルバムの大部分は、1960 年 10 月 30 日の夜か ら翌朝にかけて一晩のセッション(実質約 14 時間)で録音された。何度も歌 い直してツギハギされたのではなく、スタジオでの情熱とインスピレーション が、そのまま録音されている。「Crying in the Chapel」は、午前3時ごろ始ま り、深夜の静寂の中で極上のバラードとして録音された。

エルヴィス初めてのニューヨーク公演のライブ盤「エルヴィス・イン・ニュー ヨーク(原題:As Recorded Live at Madison Square Garden)」の姉妹作と して、1997 年に公式リリースされた。1970 年代のエルヴィスが展開していた ラスベガス・スタイルの豪華な「メガ・ヒット・レビュー(大ヒットパレー ド)」が最高の形で凝縮されている。フルオーケストラと強力なゴスペル・コ ーラスをバックに、一切の衰えを感じさせないパワフルなボーカルが堪能でき る。
エルヴィスは『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』を、自身の ライブの極めつけのハイライトとして歌っていた。ポール・サイモンはアー ト・ガーファンクルと共に、このマディソン・スクエア・ガーデン公演を客席 から聴いていた。
自身の楽曲がエルヴィスによって壮大に歌い上げられるのを聴いたポール・サ イモンは、ローリングストーン誌などのインタビューで以下のようなコメント を残している。
「エルヴィスが『明日に架ける橋』を歌うのを初めて聴いたときは、本当に信 じられない衝撃だった。心の中で『一体全体、どうやったらこれに対抗できる っていうんだ?』と思ったよ」
「(エルヴィスの歌唱は)少々ドラマチックすぎるという見方もあるかもしれ ないけど、あの曲自体がドラマチックなんだ。エルヴィスは完全に曲を自分の ものにしていた。これじゃあ、俺たち(ソングライター)は全員あきらめて身 を引くしかないじゃないか」
もともと「静かで内省的なバラード」だったこの曲を、エルヴィスは圧倒的な 歌唱力で「雷鳴のような、宗教的体験に近い壮大なスペクタクル」へと創り上 げ、天才ポール・サイモンを感嘆させた。