季節を知る者は占いを制す
日本人は星の動き観察して生活していた
七十二侯

第一回
片寄斗史子
Toshiko KATAYOSE
古代中国・黄河流域で生まれ、日本の風土の中で育て整えられた暦。
日本人が日々の働きと暮らしの
指針としたのが、「二十四節気七十二候」です。
西洋と東洋、西洋占星術と東洋の暦
「二十四節気七十二候」。
いずれも「月、太陽、地球、惑星」、
天体の動きから導かれています。

雪下出麦(せつかむぎをいだす)
12月31日~1月4日ごろ
西洋占星術の起源は、紀元前2000年ごろ、古代バビロニア・メソポタミア地方で行われた大規模な天体観測によると伝えられています。観測によって明らかになった月や太陽、星々の存在とその関係や運行を識ると、当時の人々は図におこし、すべての天体活動のもとで人間の生命も育まれ続いていることを理解するのでした。
やがて過去の出来事に月や太陽、星々との関わりを見い出し、また未来の予兆を天体に探るようになります。観測によって、ここまでの問いと答えを導くことができるとは、やはりすべての発見と思考の始まりは観察であると知らされます。
この天体観測とその結果が、ギリシア、インド、アラブ、ヨーロッパ、中国へ伝わったといわれ、各地で王家や国家の吉凶判断が行われるようになります。個人の性格や運勢を占うようになるのは十九世紀から二十世紀。現代占星術の父、アラン・レオによって始まりました。アラン・レオは、それまで個人の宿命を求めてきた占星術を、個人の可能性を追究する役割に変え、一人ひとりの人生の指針を志向するものへと近代化した名高い存在です。

黄鶯睍睆(うぐいすなく)
2月8日~12日ごろ
現在のように星の配置をホロスコープ図に表すようになるにはさらに時間を必要とし、いまから二千数百年前の紀元前四百年から三百五十年前のこととされています。やがて十七世紀には、天文学者と星の予兆を読み解く占星術師は袂(たもと)を分ち、それぞれに発展していきます。また、天体観測とその伝播よりさらに遡ること三千年から六千年前、インドで生まれた手相占いがその後、中国の易学と融合し日本に伝わっています。
日本人は風土のすべてに神を見い出し共に生き、
自然、生きものすべての命を認めて、愛と感謝を育みました。
旧暦「二十四節気七十二候」を身近に知ると、その心根がよくわかります。
東洋の暦誕生の地は、古代中国・黄河流域。
この暦が「二十四節気七十二候」です。
自然の営みと人間の営みを重ねて生まれた暦です。

虹始見(にじはじめてあらわる)
4月15日~19日ごろ
中国三千年とも四千年ともいわれるように、とにかく中国の歴史は古い、長い、ですね。北京原人が直立歩行をした石器時代から現在までが五千年ともいわれ、朝廷の名が初の時代名となる夏朝から換算すれば四千年、中国統一の秦朝からは二二四一年。やっと一九四九年に中華民国建国によって近代化とされます。
二十四節気七十二候は、そのように古い中国のさらに古い古代中国、黄河流域で育まれた、農事と暮らしを綴った一年間の暦です。古くから人々は自然の営み、その規則的な移ろいを理解し、自分たちの農耕や暮らしの営みを重ねて実りを得、命を繋いできたのです。一日いちにちの繋がり、つまり日付けを月の形で知り、太陽の動きで時間や季節を知り、それを目安に一年の繰り返しを暦という形に仕上げました。
新月から満月へと決まって形を変える月は、新月の日を毎月一日とし、満月へと満ちて再び新月へと欠ける満ち欠けをひと月としました。これは太陰暦。太陰とは月、お月さまのことです。地球が太陽を一周する周期、その期間を一年とするのが太陽暦。
この二つの暦を組合せた太陰太陽暦が、中国での暦の始まりでした。
ところが、月の満ち欠けと太陽の周期とでは、一年で十一日ほどのズレが生じます。数年に一度、閏年(うるうどし)を設けて調整しても、農耕や漁には支障が生じました。そこで考え出されたのが「二十四節気」です。図に示したように、太陽の高さが最も低くなる「冬至(とうじ)」、反対に最も高くなる「夏至(げし)」。
その間に「春分」と「秋分」の、合計四つを基点として、一年を二十四等分に区切って二十四節気とし、一節気は、それぞれ十五日間になります。
「七十二候」とは、「二十四節気」をさらに一節気ごとに三等分して「初侯、次候、末候(しょこう、じこう、まっこう)とそれぞれ「候」と名付けた、より繊細に日本の季節の表情や営みをとらえたものです。
二十四節気と七十二候は別々に、同じ六世紀に中国から伝えられていますが、いずれも日本人の暮らしに馴染み、日本の暦として根付いていきました。特に七十二候は、江戸時代に暦学者の渋川春海が日本の風土に合わせて改訂。より日本の暦らしく、きめ細かく日本の気候とその様子が表され、二十四節気と合わさり日本人の暦となっていきました。
一節気ごとに三候を加えていることから二十四節気×三、合計七十二候。両方合わせて「二十四節気七十二候」。そして、二十四節気の気と七十二候の候から気候という言葉が生まれました。
その暦が気候変動のいま、宇宙のもとで生きる意味を伝えて新たな注目を浴びています。さらに、日々の暮らしの中で重なる埃や邪気を祓い、運気を呼ぶための暮らしのありようを知る手がかりとしても関心を呼んでいます。
暑さ寒さも彼岸まで。
温暖化、不安定な大気や前線の影響が止まない気候変動のいま、
古い暦の「二十四節気七十二候」が注目されています。
季節はどこから来るの?
日本の気候は案外厳しく、早い?
しっかり向き合っていくことが、
暮らしかたの基本になりますね。
自然の営みと、そのもとで生きる人間の農耕や漁、狩の働きと毎日の暮らしを深く観察し、豊かな経験知によって季節の巡りとして編まれた暦が、二十四節気七十二候です。
そこには、草木の変化、花々の開花、野鳥や昆虫など生きものの出現が、きめ細やかに表されています。さらに日本人の日々に差異がないようにと節句や雑節も加えて、邪気を祓(はら)い、無病息災、安全に暮らすための導きや運気を高める暮らしかたについても記されています。
祓いの主たる行いは掃除と食事。繰り返す暦によって身につくようにというわけですね。この内容は、お正月の迎えかたを考えてみてもらえばよくわかると思います。お正月は神さまが家にいらして共に過ごすとき。日本人は風土のすべてに神の存在を感じて共に生きたのです。また、すべての自然、生きものに命を認めて付き合っていました。二十四節気七十二候を知ると、そんな日本人の心根がよくわかります。中国生まれの暦であっても、二十四節気七十二候が琴線(きんせん)に触れたであろうことは容易に想像できます。
しかし、明治六年、日本は世界、特に欧米に合わせて太陽暦を用いるように変更します。飛鳥時代から長く身近にあった日本の暦が変わる一方で、生きかた、暮らしかたとしてさらに長くいまでも人々の心と体に導きを与えています。この連載では季節ごとの七十二候、その真髄に触れていきます。
太陽の動きで時間と季節を知った昔の人たちは、地球が太陽を一周する期間を一年としました。これが、太陽暦。現在、世界共通の暦として用いられています。そこには日付けと曜日がシンプルに並び、余計な言葉はありません。それだけに、自然の移り変わりや生きもの、気候に気づく観察力や感性、行事と暮らしかたなどは人それぞれになりました。
お正月飾りなども少なくなりましたね。一方で防災上から気候への関心は強くなっています。
暦を通して思うのは、日本の気候は決して穏やかではなく、むしろ変化が厳しいのではないかと感じられることです。四季の豊かさといわれてきたことも、四季のない国と比べてみると、それだけ変化が厳しいとわかります。暮らしの整えかたにも変化に合わせて手がかかります。
作家の幸田文(こうだ・あや)さんの随筆に興味深い、四季と暮らしの支度についての「間に合う・間に合わせ」のお話があります(「季節のかたみ」講談社文庫)。慌ただしく過ぎていく日々、その季節の早い変化に去っていく季節を片付け、やって来る季節のしたくが間に合わない。やっとなんとか間に合ったが、今年もまた「間に合わせ」の季節迎えであった。このようなことのないよう準備万端、新しい季節を迎えたいものだ、というお話でした。
季節の変化に対応するしたくの大変さは幸田さんをもってしても、という同感とともに、「間に合う・間に合わせ」があまり良い意味の言葉ではないと知って驚いたのです。時間に間に合うことはラッキーであり、が、確かに間に合わせは良い意味では使わず計画や準備の不足を意味してきました。けれども、間に合うもまた計画、準備不足の結果だったのです。
日本の昔の暮らしは、貧しいこともありましたが、モノのない空間を目的に合わせて活用することでした。複雑で厳しい気候のなかで、いかに清潔で準備万端、ゆとりある暮らしができるか、大事なこのテーマについても、この連載で一緒に解決をして参りましょう。購読、よろしくお願いいたします。では次回また。お元気で。
次回第二回は「邪気を祓い、運気を高めるための日本の暦」と題して、季節の七十二候、その内容を見ていきます。購読、よろしくお願いいたします。

麦秋至(ばくしゅういたる)
5月31日~6月4日ごろ

蓮始開(はすはじめてひらく)
7月12日~16日ごろ

雷乃収声(かみなりすなわちこえを
おさむ)
9月23日~27日ごろ

楓蔦黄(もみじつたきなり)
11月2日~11月6日ごろ
メディアでの「気候ニュース」の時間が増えました。気候の情報は誰にも必要で重要な時代。「気候」は、二十四節気の「気」と七十二候の「候」から生まれた言葉です。

